「倒産 社長 末路」
この言葉で検索して、ここにたどり着いた方がいると思います。
正直なところ、私も同じでした。
会社を畳むと決める前、自分がこの先どうなるのかが、
まったく想像できませんでした。
先に、私のケースの結論を書きます。
私は会社を破産させ、自宅を手放しました。
資産はゼロになりました。
それでも今は、縁もゆかりもない土地で、
会社員として普通に働いています。
子どもたちは、一度も怖い思いをしていません。
取り立てが来たことも、ありません。
末路という言葉が指すような結末は、
少なくとも私には訪れませんでした。
この記事では、破産したあと、
自宅・家族・暮らしが実際にどうなったのかを書きます。
住んでいた家は、そもそも私のものではありませんでした
自宅はどうなるのか。
これは、多くの経営者が一番気にすることだと思います。
私の場合、少し特殊でした。
というより中小企業ではよくある形かもしれません。
住んでいた家は、会社の所有でした。
いわゆる社宅です。
会社の敷地の中に建っていたので、
建物としてはつながっていませんが同じ敷地です。
そして、その建物が建っている土地は、私個人の名義でした。
そこには抵当権がついていました。
整理すると、こうなります。
建物は、会社のもの。
土地は、私のものだが担保に入っている。
なので破産時は法的にはどちらも、私の手元には残らないものでした。
会社が終わるということは、
仕事だけでなく、住む場所も同時になくなるということです。
ちなみに社宅なので、少額ではありますが、
毎月家賃は会社に払っていました。
なお私は住宅ローンを組んでいなかったので、
個人として整理が必要だったのは、
会社の連帯保証の分だけでした。
▶ 経営者保証ガイドラインを選んでよかったと思った3つの理由
家を出るまでの3か月
事業を停止してから、実際に家を出るまで、
3か月ほどありました。
すぐに追い出されるわけではありません。
このあたりは、少し意外に思われるかもしれません。
ただ、のんびりしていられたわけでもありませんでした。
3か月は「猶予」ではなく「期限」でした
私の場合、自宅が会社の敷地の中にありました。
そうすると、水道や下水といった生活インフラが、
会社と共有になっていることがあります。
私の家が、まさにそうでした。
会社が破産手続きに入ると、
会社の支払いを勝手にすることはできません。
払いたくても、払ってはいけないのです。
つまり、いずれインフラは止まります。
それが分かっていたので、
止まる前に出るという前提で動きました。
名義によって、扱いが変わります
ここは正確に書くと少しややこしいのですが、
私のケースとして整理しておきます。
まず、破産手続きが始まるまでは普通に住めます。
土地のように個人名義のものは、
抵当に入っていても、競売で売却されるまでは自分のものです。
ただし、その間の固定資産税は払い続けることになります。
一方、会社名義のものは、
手続きが始まれば固定資産税を払わなくてよくなります。
同じ敷地にあっても、
個人名義か会社名義かで、扱いがまったく違います。
自宅を会社名義にするか個人名義にするかは、
何もないときに何となく決めてしまいがちですが、
万一のときにここまで差が出ます。
このあたりは私も専門家ではありませんので、
必ず弁護士に確認してください。
期限が決まれば、順番は決まります
やることは2つでした。
次の仕事を決めることと、次の住まいを決めること。
順番は、仕事が先です。
住まいを借りるには、収入の見込みが必要になります。
無職のまま賃貸を探しても、審査は通りにくい。
幸い、出る時期までに採用通知をもらえていたので、
賃貸契約で困ることはありませんでした。
新しい住まいは、その職場の近くで探しました。
もうひとつ、助かったことがあります。
私は経営者保証ガイドラインで個人の債務を整理したので、
信用情報に事故情報が登録されませんでした。
いわゆるブラックリストに載らなかった、ということです。
そのおかげで、賃貸の審査にも引っかかりませんでした。
▶ 経営者保証ガイドラインを選んでよかったと思った3つの理由
住まいはネットで調べて決めました。
縁もゆかりもない土地でしたし、
何軒も不動産屋を回る余裕もありませんでしたから。
そして、家を出る日。
自分たちの荷物は、すべて片付けて出ました。
ただ、会社の物には手をつけていません。
破産手続きに入ると、
会社の財産は勝手に処分できないからです。
会社はそのままにして、私たちは出ていきました。
子どもには「会社をやめる」とだけ伝えました
当時、子どもは中学生と小学生でした。
私が伝えたのは、ひとことだけです。
会社をやめることにした。
倒産という言葉も、破産という言葉も使いませんでした。
言葉を選んだ理由
破産や倒産は、強い言葉です。
大人でも、この言葉を自分のこととして聞くと絶望します。
実際、私もそうでした。
けれど法的には、手段のひとつにすぎません。
私が迷惑をかけたのは金融機関だけで、
その金融機関にも、事前に事情を伝えて筋を通しました。
取引先への支払いも、従業員への給与も、
止めないまま終えることを優先しました。
ただ、この理屈は子どもには伝わりません。
強い言葉だけが先に届いて、
意味のほうは残らないと思いました。
だから「やめる」とだけ言いました。
いつか子どもたちがこのブログを読む年齢になったら、
そのときは分かってもらえると思っています。
子どもたちは、一度も怖い思いをしていません
これは、はっきり書いておきたいことです。
破産してから今日まで、
家に取り立てが来たことは一度もありません。
夜中に電話が鳴ることも、
知らない人が訪ねてくることもありませんでした。
なぜ取り立てが来ないのかは、
別の記事に書いたとおりです。
私が子どもの前で頭を下げる場面は、
最後まで訪れませんでした。
末路という言葉から想像される光景は、
少なくとも私の家では起きていません。
変わったのは、生活のほうでした
怖い思いはさせなかった代わりに、
生活は丸ごと変わりました。
引っ越しで、住む地域が変わりました。
学校も変わり、友達関係も変わりました。
子どもにとっては、
会社がどうなったかより、こちらのほうが大きかったはずです。
転校を告げたとき、二人とも大きくは騒ぎませんでした。
それがどういう気持ちだったのかは、正直なところ、今も聞けていません。
今住んでいる場所は元の会社から結構離れていますが、車で行けない距離ではないので、
今でも子供たちは時々友達に会っています。
妻も、同じ日に仕事を失いました
妻は、会社の経理をしていました。
つまり、事業を止めた日に、
私たちは夫婦そろって職を失ったことになります。
収入がゼロになる、というのはそういう意味でした。
どちらかが働いていて支える、という形にはなりませんでした。
取り乱すことは、ありませんでした
会社を続けられないかもしれない。
そう話したとき、妻は何も言いませんでした。
そうか、とも言わず、
これからどうするの、とも聞かず、
ただ黙って聞いていました。
そのあとも、取り乱すことはありませんでした。
理由は、あとになって分かった気がします。
会社が苦しかった時期の大変さと、
いつまで続くのか分からない不安のほうが、
妻にとっては圧倒的に重かったのだと思います。
終わることそのものより、
終わらないことのほうが、しんどかった。
そういうことだったのだろうと、今は思っています。
手続きは、妻のほうが大変でした
私が再就職してからも、家族の中で一番動いていたのは、たぶん妻です。
転校の手続き、引っ越しの段取り、役所での書き換え。
引っ越しは再就職先が決まってからなので、
新しい仕事が始まるのと同時に、生活を組み直すことになりました。
それだけではありません。
事業を止めたあとの残務処理が1か月ほど残り、そこは母と妻に手伝ってもらいました。
会社を清算するための書類集めも続きます。
再就職の前から揃えていたものもあれば、再就職したあと、
弁護士が破産を申し立てるまでの間に、言われて揃えたものもあります。
といっても妻が直接手続きをしたわけではなく、
弁護士から私に「この書類を揃えてほしい」と連絡が来て、
私がその内容を妻に伝え、探してもらうという段取りでした。
会社が終わっても、
会社の仕事は、しばらく終わりません。
これは、あまり語られないことだと思います。
収入がゼロの3か月を、どう食べつないだか
お金の話を書きます。
年末に事業を止めました。
最後の役員報酬が出たのは、その翌月です。
そこから先は、収入がありません。
再就職が決まるまで、3か月かかりました。
その3か月を、5つのもので食べつなぎました。
- 最後に受け取った役員報酬
- それまでの貯金
- 家族からの援助
- カードローン
- 妻の失業保険
妻は会社の従業員でしたから、雇用保険に入っていました。
会社が終わったあと、妻には失業保険が出ています。
私は役員でしたので、対象外です。
きれいな話ではありません。
特にカードローンについては、借りてから会社の運転資金に入れていた時期があり、
会社と自分の境目は曖昧なままでした。
金額や、どの順番で何を使ったかは、noteに細かく書いています。
生々しいので、ブログではここまでにします。
ひとつだけ、私の実感として書いておきます。
無収入の期間の長さは、
仕事が決まるまでの時間と、ほぼ同じでした。
だから私は、住まいより先に仕事を探しました。
▶ 転職サイトとエージェントの使い分け|元社長が倒産後に見つけた正解
縁もゆかりもない土地で
今、私は縁もゆかりもない土地で働いています。
引っ越してきた時点では、知り合いが一人もいませんでした。
正直なところ、いまだに不思議です。
十数年、同じ場所で、同じ看板の下で働いていました。
それが、自分の出した結論ひとつで、
ここまで変わるのかと思います。
誰かに追い出されたわけではなく、畳むと決めたのは私です。
家業から解放された、という感覚
もうひとつ、正直に書いておきたいことがあります。
私は、代々続いた家業を継ぎました。
継いだ時点で、
この先の何十年かは、ある程度決まっていました。
少なくとも、自分ではそう思っていました。
今は違います。
どこで働くか、何を勉強するか、
この先どこへ行くかを、全部自分で決められます。
いい年をして言うことではないかもしれませんが、
新鮮です。
それでも、寂しさはあります
一方で、寂しさもあります。
子どものころから見てきた会社です。
建物も、機械の音も、働いている人も、
そこにあるのが当たり前でした。
それが、もうありません。
解放された感覚と寂しさは、同時にあります。
どちらかに決めなくていいのだと、今は思っています。
あの決断は、正しかったと思っています
最後に、今の気持ちを書きます。
あのとき畳むと決めたことは、正しかったと思っています。
そのあと物価が上がり、賃金も上げなければ従業員はやめていたと思います。
あのまま続けていたら、状況は確実に悪くなっていたはずです。
失ったものは、失ったものです
きれいごとを書くつもりはありません。
この年で、資産がゼロになりました。
同世代の人たちは、それなりに生活の基盤を作り、
資産も積み上げています。
その差は、はっきりあります。
それでも、すべてを後悔しているかというと、そうではありません。
破産に至ったのは、私の力不足です。
それは間違いありません。
ただ、私が入る前からの借金もそれなりにありましたし、
設備も古くなっていました。
難しいと分かっている時期に、
入ると決めたのは自分です。
なぜ決めたのか。
親を助けたい、というのが根っこにありました。
同じひとつのことが、両方を生んでいました
この記事の最初に、家の話を書きました。
住んでいた家は会社のもので、
土地は私の名義で、担保に入っていました。
会社と家は、地続きでした。
だから、会社が終わったとき、
私は住む場所も同時に失いました。
けれど、同じことが、
まったく別のものも生んでいました。
会社と家が隣り合っていたから、
私は毎日、子どもたちの近くにいられました。
労働時間は長い仕事でした。
それでも、子どもたちの幼少期を見ていられたのは、
家と会社が地続きだったからです。
失ったものと、得たものは、
同じひとつのことから出ています。
十数年、親と一緒に仕事をしました。
そして、子どもたちのそばにいました。
これは、財産だと思っています。
これから
資産はゼロから積み直しです。
まずは今の会社に早く貢献して、収入を増やす。
経営者としてやってきた経験と、
そのとき持っていた目線は、無駄にはならないはずです。
そのうえで副業を育てますし、場合によっては、もう一度自分で事業を始めることも考えています。
同じ言葉で検索した方へ
「倒産 社長 末路」
この言葉が検索されているのは、
先が見えないからだと思います。
当時の私も、同じでした。
でも、ひとつずつ整理して、
専門家に助言をもらいながら進めれば、
必ずよい方法は見つかります。
少なくとも、私の場合はそうでした。
このブログが、
どなたかの少し先につながって、
励ましになれば本望です。
【この記事を書いた人】 元・中小企業経営者(従業員十数名)。経営悪化と人手不足により会社を廃業。法人破産・経営者保証ガイドラインを経て、現在はサラリーマンとして再出発。「自分と同じ規模の社長の体験談が見つからなかった」という経験から、このブログを書いています。
より詳しい体験談はnoteでも書いています。

小さな会社を破産させると決めたときの具体的な流れはこちらに書いています。

本記事は、筆者の実体験をもとにした情報提供を目的としています。個別の法的判断については、必ず弁護士等の専門家にご相談ください。

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